【自己紹介】英語を始めるきっかけ!

こんにちは初めまして!じんです!今日1月4日から仕事初めの方も多いのではないでしょうか。

新年の抱負は決めましたか? bondavi(ボンダヴィ)の調査によると、新年の抱負は達成できた方は20%以下、そして、新年の抱負すら覚えていないという方はなんと42%にも昇るそうです。達成できた20%に入りたいですね!

さて今日は初めましてという事で、自己紹介になります。まずはさらっと私のプロフィールをご紹介したいと思います!

目次

自己紹介

名前:じん

年齢:20代後半

学歴:Dランク大学卒(指定校推薦:センター受験歴なし)サークル・部活に無所属

出身地:東海地方

趣味:音楽鑑賞(US)、サウナ、Netflix鑑賞 などなど

英語を勉強しようと思ったきっかけ:就活での強みがない事に気がついたからなんとなく。

TOEICスコア歴:190→300→325→350→600→680→725←イマココ

本ブログを読むメリット!:実体験に基づいて、0からどうやって英語を話せるようになるか、勉強方法・考え方が学べる。

これからやってみたいこと:ビーチでリモートワーク。

おれ、英語がニガテかも…を自覚した時は?

正直な話、私は賢くないです。というのも高校の偏差値は控えめに言って39程度、【受験票に名前を書けば受かる】と言われているような学校出身です。(失礼)

治安はまるでスラム街。同じクラスの子が授業中に水筒で殴り合いの喧嘩を始めたり、シーブリーズ(制汗剤:メンソールのスースーするやつ)を目に掛け合って、悶絶して叫んでいるようなクラスでした。半分大人の高校生がですよ!?(授業中)

試験期間中には先生が1問1答のA3プリントを1枚配布して、「ここから90点分でるよー」と言っているにも関わらずクラスの半数は赤点のような、そんなクラスで青春時代を謳歌しました。

まだまだエピソードはあるのですが、書き出すと日が暮れてまた上ってしまいますので今日は割愛いたします笑

その中では私は上位20%くらいの位置付けだったんですね。高校の中では勉強できないわけじゃない。しかし比較対象がないので、自分は上位20%だと勘違いするわけです。「おれって賢いかも!?」ありがちな井の中の蛙ですね。

そんな高校でも、部活は3年やり遂げましたので、高校からDランク大学くらいの指定校推薦をいただけました。センター試験を受験した経験はなく、大学受かってラッキーといったような浮かれポンチになっていました。

しかし、入学前の英語クラス分けの為のWEB試験がありました。そこで英語できない事が明るみになりますが、YDK(やればできる子)と思って育てられましたので問題なし笑

自覚がないのが一番まずいので、その結果はもちろんひどかったです。英語がこんな感じのプログラミングに見えていました。

はにゃ?

私の悪いクセなのですが、諦めるとサジを投げてしまうんですよ。その後2年間くらい、受験しなければいけない試験は出席するのですが、極度の英語アレルギーですので解答は選択肢を全部同じにして提出する作戦。(全部Aにマークみたいな)あとは寝る。「もう根本的な事分かっていないからまぐれで点数稼いでも意味がない。勉強を1からやり直そう。」と試験中だけは思うわけですね。

そして試験が終了し解放されると…

よっしゃあああああああああ!!!!!!!!と、こんな感じです。笑

この試験も御多分に漏れずです!選択肢全部A作戦!とにかく英語からは逃げたかったですね笑

しかし自覚がないので「いつかやればできるよ」くらいにしか思っていませんでした。

英語のクラス分けで最低ランクのクラス、そのクラスで単位を落とす!

当然、テストの選択肢が全部同じの人間が高得点を取れるはずは無く、上位クラスに配属されるはずがありません。笑

配属された先は、ラグビー部の脳筋A君か、野球部のやんちゃ坊主B君、バイトに命をかけるC君、かわいい洋服に全振りしているDちゃん、田舎彼氏にゾッコンEちゃんのような、「あ、勉強してこなかったんだろうな(察し)」と一目で分かるようなバラエティ豊かなメンバーでした。

私語はひどいし、初めての授業はABCのアルファベットからでした。(驚きましたが、僕もABCを最後まで言えませんでした。まじですよ)

そんな中で半期で合計15回の講義があるわけですが、半分くらい出席していないこともザラ。そんなメンバーが正攻法で単位を取りにいくわけはないんですよ!試験当日、発想がすごいなと感心するのですが、試験範囲のレジュメと呼ばれるプリントの縮小コピーを消しゴムに貼り付けてカンニングしたり、前の席の人に「◯時◯分になったら解答用紙を右にずらして見せて!」と頼み込んでみたり、(僕はしていません笑)もう散々なクラスでした笑

それはそれで楽しかったですけどね笑!

もちろん英語のアメリカ人先生も馬鹿ではありませんから悪事はバレてしまいます。

野球部のやんちゃ坊主B君がアメリカ人の先生から「アナタ!カンニングシテル!単位ナシ!」と言われていてその刹那に間髪いれずにフライング土下座をしているのを見たときに「必死なんだな・・」と思いました。

それなのにですね。上記のメンバーはしっかり単位を取れているのに、私59点でした。(60点以下は単位を落とす)あれ(;>;)

私は授業に真面目に出席するタイプの人間だったので、周りから落とすとは思われなかったはずですが、めちゃくちゃ笑われましたしとにかく自分でもショックで、「さすがにまずい、、英語、、やらなきゃ、、」と思いました。

英語をできるようになりたい!さあ何から始める!?

僕の英語が向上した要因は「英語を話せる人への憧れ」もひとつかと思います。そのお話は後日しようかと思うのですが、とにかく英語を話せる人に対して、言語化できない劣等感がありました。

私は情弱のくせに、やってみたい事はやってみないと気が済まない人間ですので、いきなり留学したい!と言い出します。しかし、当然英語ができないのに英語で講義を受けるのはハードルが高すぎる。

そこで先輩のアドバイスを受け、語学留学からのワーキングホリデーという選択肢を選びます!

大学は3年生を休学、在籍料が半期で3万円くらい?で、週8でバイトをしてオーストラリアへ飛びました。

結論:【英語しか話せない環境づくりを徹底した】

この見出しがこの記事の中で一番大事な事になります!その他の勉強方法や考え方などは後から付いてくると思っているからとにかく、「英語しか話せない環境づくりを徹底した」という事実は私の英語力を飛躍させることとなります。

具体例は下記となります。

語学学校!劣等感・仲間はずれ感を体験すべき!

これはいきなりハードルがかなり高いのですが、私の通った語学学校では、母国語で話しをする事が禁じられ、異常に厳しいペナルティーが与えられました。罪の重さによりますが、学費返還なしの退学処分も検討されます。

当然、1日目から英語漬けで、オリエンテーションも何を言っているのかさっぱりわからないといった状態で日々を過ごしていく事になります。

そんな中、当時一人で行動していた中で、英語を話さなければ孤立してしまう恐怖感に駆られました。

実際に初日、日本人の女の子が英語で話しかけてきたのですが、全く会話が成り立たず、赤面してしまった事が強く脳裏に焼き付いています。愛想笑いのタイミング、相槌のタイミングがさっぱりわからず、同い年のマウントとりそうな女の子だったのですが、試されていたのだと自覚しました。

いきなり顔面が無表情が変わり、話してはいけない日本語で、「英語、頑張りなさいね!」と上から目線の言葉をかけられた事を覚えています。なんやこいつ笑

A person and a group of people are separated by a yellow line. Establishing contact. Distrust. Quarantine. Distance with strangers. Barrier to understanding, difficult integration. Rejection, refusal.

当然、その後もグループなどに所属することはできず1週間ほどが経過しました。

これは感じたことのない劣等感・仲間はずれ感でした。日本にいて体験することはないでしょう。

のちのち、この、【言語が伝わらず、簡単な表現すらできないと思われて周りがコミュニケーションを諦めていく感覚】が恐怖すぎて私は大きく英語力を上げます。

しかし、人間そうメンタル強くは保てません。こそこそ影で日本語でコミュニケーションをとるようになるわけです。どこかの群れに所属しなければ居心地悪く感じてしまうように、私たち動物にはプログラミングされています。

真夏の暑い日、学校のプールサイドで年齢の近い日本人で身の上話や情報を共有していました。

そこに校長の飼っている大型犬が、吠えながら走ってきました。驚く間もなく、校長が後ろから英語で叫びながら、私たちを手招きしています。

終わった。。。

別室に案内され、校長は何やら私たちに熱く話しをしていたようですがよく分かりません。

とにかく英語で反省文を書きなさいということは、用紙をもらいましたので分かりました。

英作文などやったことがなかったので、確かに書いた内容は

I am sorry.

I do not speak Japanese.

I am really sorry.

とまさに間隔の使い手のプロ、これでA4を埋め切りました。

1週間程度で0から辞書を見ずに作文してと言われたらこんなもんでしょう笑

とにかくひどかったと思います。受理されましたけど笑

語学学校の話は大量にありますので、後日お話しようと思います!今日はさらっと。

シドニーへ引っ越し・日本人のいない職場

語学学校を卒業するメンバーは毎週います。

結果的に仲良くなった日本・台湾・韓国・フランス・ドイツなどのメンバーが卒業後どこの街にいくのかというのは話題になりますので、よく話をしていました。

やはり、メルボルン・ゴールドコーストなどは多いですね。首都のパースは1人くらいいましたが、

シドニーに行く、という人がいなかったので、天邪鬼な私は「誰もいないシドニーへいく」とイキリたちました。

語学学校時代に、職場の探し方、レジュメの書き方のような講座があり、

「職探し」は履歴書を配って歩く!そして待つ!あとはちょっと笑顔で履歴書を渡すように!

と正直呆れた内容で、実践するにはそこまで時間がなかったので、シドニーを一通り観光した後、インターネット経由で仕事を見つけました。

オペラハウス

結局、清掃員の最低賃金で雇われましたけどね。笑

「学がない人間は肉体労働だ!」と自分に言い聞かせていました。

そこでも韓国人が社長だったのですが、日本人はおらず、マレーシア人のスレッシュ君と一緒に働きましたので英語力は向上することになります。

正直、何度も死にかけるような経験をしましたし、割愛している部分が多くあります。

初めてのブログですのでご容赦いただきたいですが、今後も経験を必死に打ち込んでいきますのでよろしくお願いいたします。

まずは、英語が伝わらずに恥ずかしい思いをしてみること。環境を作ること。これが一番大事です。

完全に実体験から作成されるブログで、英語を使う仕事で日々奮闘中ですので、今後も定期購読よろしくお願いいたします!

ありがとうございました。

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